『ルートヴィヒ』

http://www.ludwig-movie.com/

この人の伝記映画。


  


ヘリオガバルスしかりヨーロッパの頭のおかしい君主というのは人の心を引きつけるのだろうか。

中国の頭のおかしい王といえば夏の桀王、殷の紂王であるがこいつらは暴虐非道で同情の余地なしみたいな描写をされることが多いけれども、どちらかというとこの人達は一般人と同じ方向性の欲望に従った点がダメだったんじゃないだろうか。民衆から富を収奪して美女!酒!豪華な宮殿!と非常にストレートな欲望に従っているように感じる。気に入らない奴、自分の言うことをきかない奴は全員死刑だ~!というのもわかりやすい。

こういうわかりやすい欲望に忠実に従っていると、羨望が憎しみに変わっていくのではないだろうか。当時の人間でなく後世の人間も、このエピソードを聞くと「うらやま…けしからん!」と感じることだろう。

一方でヘリオガバルスなんかはWikipediaから引用すると

皇帝は全裸で廷臣や警護兵を甘い声で誘い、男娼として売春する一方、金髪の奴隷ヒエロクレスに対しては「妻」として従っていた。厚化粧して妻になりきり、しかも、「ふしだらな女」と噂されるのを好んで、他の男性とも肉体関係を結んだ。これを知ったヒエロクレスは「妻」である皇帝の不貞をなじり、罵倒し、しばしば殴打におよんだ。そして、皇帝は、殴られて自分の眼の周りがどす黒く腫れ上がったことを悦んだという。また、性転換手術を行える医師を高報酬で募集していたともいわれている。このことからヘリオガバルス帝の性癖について、これを同性愛や両性愛というより、トランスジェンダーの一種として考える論者も多い。

とあり、「羨ましい」と思う人はそういないのではないだろうか。(あと、ここでも「性癖」が誤用されてるのが気になる)
自分がこの皇帝の治世下に生まれていたら困るだろうけれども、後の世からするとむしろインスピレーションの源泉というか一種の憧れの存在にもなりうる。

ルートヴィヒは「私は、私自身にとっても他人にとっても、永遠に謎でありつづけたい」みたいなことを言ったそうで劇中にもこのセリフは出てくるがまさしくこの謎が魅力なのだと思う。

そう考えてみると、日本の武烈天皇とかは桀紂タイプではなくヘリオガバルスタイプに近いような気がする。
日本の歴史モノエンターテイメントといえば戦国時代か幕末かという非常に貧しい状況にあるけれども、こういうところに光を当ててみてほしい。