うまし うるわし 奈良

三泊四日の奈良京都旅行から帰ってきた。奈良京都旅行といっても、京都で行ったのは木嶋坐天照御魂神社(通称:蚕ノ社)だけであり、ほぼ奈良県しかまわっていない。
また、到着初日はあまり時間がなく奈良市街のホテルから遠出できなかったため仕方なく春日大社に行ったりしたが、東大寺や興福寺、法隆寺とかはスルー。
ちなみに蚕ノ社になぜ行ったかというと、三柱鳥居という珍しい形の鳥居を見ることができるから。

柵があってあまり接近できなかった…
上から見ると三角形になっている

余談だけど、僕は鳥居のなかではいわゆる神明鳥居と呼ばれるタイプのものが一番好き。

今回もっとも見たかったのは卑弥呼の墓ともいわれる倭迹迹日百襲媛命大市墓(通称:箸墓古墳)。「箸墓」という名前の由来となった伝説に惹かれた、、のではなく、ここにいけば自分も神懸かり状態になれるのではないかという期待から。
もちろん結局はなれるはずもなく。

よみは「やまとととひももそひめ」

しかし、箸墓古墳ふくめ山辺の道エリアは「神話」と「歴史」の褶曲がひろがっていて、大変よろしかった。
初代天皇(大王?)とでもいうべき崇神天皇(神武天皇はじめ崇神以前はまだ実在が確かめられていない、夏王朝のようなものか。)が都をおいていたとされる場所があったり、ヤマトタケルのお父さんの墓があったり。(ヤマトタケルが女装してクマソタケルを暗殺する話、好きですね。全然内容は違うけどヘリオガバルスの逸話も…)

崇神天皇の時代の都はここにあった?

個人的には邪馬台国=ヤマト王朝で、崇神以前に大王は世襲の大王というものはいなくて邪馬台国を構成する邑の長のなかから選ばれていたのが、崇神から世襲天皇制がはじまった(武烈→継体は易姓革命?)というような感じなんじゃないかなと思っている。(≠考えている)
いわゆる欠史八代の天皇というようなものは存在せず、しかしそれをそのまま書いてしまっては皇統の正当性に傷が付くと思って適当にでっちあげただけなのではないだろうか。

翌日は飛鳥地方をめぐってみたのだけど、飛鳥時代になるともう「歴史」でしかない。知的好奇心は刺激されることはあっても、山辺の道にあったようなロマンはない。
飛鳥では酒船石や亀石のような石像が太古のミステリー的な感じでプッシュされているが、そこまで不思議なものでもないような気がする。
飛鳥で一番よかったのは石舞台古墳か。蘇我馬子の墓だったといわれる石舞台古墳は古墳の土が取り除かれ、石室が露わになっている。そしてこの石室の中に入ることができる。(石棺は複製がおいてあるが中にはいることはできない)この中に入って上を見上げると死後数百年(?もしかしたら蘇我氏の失脚後すぐに暴かれたのかもしれない)この天井を見上げ続けた蘇我馬子(?)のことを思ってしまう。
県立万葉文化館というところも結構立派で、名前は退屈そうな博物館という感じだけど中身がなかなか凝った作りになっていた。

高天原だといわれる葛城地域にも行ってみたかったのだが、これは時間がなくて断念。ちょっと無理して初日に飛鳥地方を回ってしまってフルに一日使える中二日で山辺の道と高天原を回ればよかったか。

奈良を旅行する際に気をつけなければならないのは食事だと思う。京都のようにはいかない。
意外と交通は近鉄電車が網のように走っているので困らない。(高天原はそうはいかないっぽいが)田んぼのど真ん中にあるような駅でも、大阪や京都への通勤圏内だからか一日数本しか電車がないなんてことはなく一時間に二本くらいはある。
しかし、山辺の道や飛鳥地方は田園風景のなかにぽつぽつと古墳や神社があるようなところなので、食事をとれる場所が非常に少ない。
食事をとる時間と場所だけはあらかじめ決めておくべきだったというのが教訓。