こどものおもちゃ

「注目しているこれからヒットするであろう、または今ホットなWEBサービスは何?」と聞かれることがある。(今ホット、ということは前からホットということではないので、2chとかもちろん、Twitterなども答えとして不適)
まーそんときは適当にお茶を濁すわけなんだけれども、ほんとのことを言うとそんなものはない、というのが答えである。

一番思うのが、WEBサービスを作ってる人たちが「イケてる」(馬鹿っぽくてあんまり好きな言葉じゃないですね。)とか言っているのはだいたい自分らと同類だけを対象にしているという点である。
要するに新しいサービスが出たらすぐに飛びついてみる新しい物好きの若者という社会のほんの一部だけに向いているということだ。
(Facebookはそこからうまく広がっていって、今では中高年ユーザーがかなりのウェイトを占めるようになっているというが。)

  


「ウェアラブル」業界も同じような状況になっている。まぁ、WEBサービス業界と隣接している領域だからしょうがないと思うんだけれども、僕この「Uberを呼ぶためにかかとを3回打ち合わせる靴用のクリップ」みたいなゴミが注目されるのは何かがおかしいと思う。

「ウェアラブル」業界は、届けるべきターゲットを見誤っている
http://wired.jp/2015/01/22/wearable-iot/


「Yo」という「Yo」というメッセージしか送ることのできないメッセージングサービスもそういう人たちのお気に入りのようだ。


開発時間わずか8時間、「Yo」とメッセージを送るだけのアプリに投資1億円
http://sp-pedia.com/article/140620-yo


WEBサービスというものはWEBサービス同士だけで対立するものじゃなくて、あらゆる娯楽と可処分時間を奪い合っている。その点このYoは可処分時間をほとんど消費しないからほんの僅かな隙間に入り込んでいける。これからは我々も見習わねば!という感じ。
しかし、こんなのはしょせんハッピーセットのおもちゃみたいなもので、もらったときはせっせと遊ぶけれどもすぐにおもちゃ箱の奥にしまいこまれるようなものにしか思えない。
可処分時間の奪い合い、という部分はわかるけれども、だからといって必要時間をゼロに近づけようという方針は間違っている。無駄な待機時間や複雑なパスをなくそうというのはもっともな話だけれども、価値を生み出すのに最低限必要な時間はある。数秒でできることは、数秒でできることなりの価値しか生み出さない。
当たり前すぎる話だが、時間を払ってもよいと思わせるだけの価値を提供できるようにするのが最優先なのではないだろうか。


別に誰もにとってよいサービスを作らなければいけないということではない(そんなものはこれから現れるのだろうか?)のだが、インターネットというのは公的なインフラであるのにそういった「同類」たちの内輪受けを狙ったサービスでうめつくされ、非「同類」に恩恵が及んでいないというのはひとつの世代間格差であると思う。