リンゴを持つ少年


先日、とある会社の説明会に行ったところ、なんと最初に通っていた小学校のころの同級生と出会った。同級生というか、当時もっとも仲の良かったグループの一人。(同じ会場には高校の同級生もいたのだが、あまり関わりがなかったというのもありお互いスルーだった。つい数週間前にも同窓会で会っていたのに。)
さすがに顔もずいぶん変わっていたので、名札がなければきっと気が付かなかっただろう。

その小学校にいたのは10歳までなので、ほぼ15年ぶりということになる。引っ越して数年は年賀状のやりとりもあったはずだが、自然とたち消えに。しかも当時は携帯はおろか自分用のメールアドレスすら持っていなかったので、本当に偶然の再会である。
さすがに15年という歳月は長くて最初はなかなか話すことがなかったんだけれども、一度話し始めるとなかなか時間が足りない。

  


その小学校がある地域は千葉県のどかな地方都市であった。なので人間の方ものどか、悪く言えば当たり障りない人が多かったという印象がある。当然自分もその人もそうだった。

その後僕はいろいろなところを転々としたのだが、やはりこの経験は大きかった。申し訳ないけれども、ずっとその小学校のある地域に住み続けていたとしたら、いまの自分はなかっただろうと思う。

日本国内というと比較的均質なイメージを与えがちだけれども、千葉と兵庫でもぜんぜん違う。関西圏は中学受験が盛んだけれども、それは階級意識的な要素がかなり多いのである。比較的余裕がある家庭は、自分の子供を大衆と同じ学校に通わせたくないから中学受験をさせているという側面がある。(多分これは兵庫が一番強いと思う。大阪は住んだことがないからわからないけれども、京都大阪はそこまで中学受験は盛んじゃないイメージ。)

山手線内の車内広告で、「旅をする人は長く生きたものより多くを知る」という言葉が流れてたけれども(ANAのやつ)人間の身体が延長実体である以上違う場所に行くというのはとても大きな意味を持っているのは間違いないと思う。

できることなら違う場所に住むというのが大きな経験になるはずだが、現実問題そんな簡単に移り住むことはできない。
でも、旅をするくらいなら簡単なので年に一回くらいはどこかに行きたいなぁと思う次第。

というわけで、来月はブダペストとプラハに行ってきます。

  ブダペストのホテルってけっこうこんな感じみたい。
値段の割に外観が豪華。

 今回は一人なので、安全第一で行動したい所存。