想像力をカタチに

まずはこちらを読んでもらいたい。
アンチ・オイディプス - 松岡正剛の千夜千冊
この書評では「欲望機械」の概念を誤読している(と、ぼくは思う)。
本来「欲望機械」という言葉でD=Gが言いたかったのは、欲望というものはみんなが考えてるみたいに<主体>がなんらかの<対象>を欲する、というものではなく、「流れ」なんだよ、ということだ。
たしかに、機械によって新しい流路が形成されるという点でまったく無関係だとはいえないのだが、松岡正剛氏の<欲望機械>は「欲望機械」の本来の意味からは離れてしまっている。
ちなみに、同じような疑問を感じている人を見つけた。
(ドゥルーズとガタリの一風変わった<欲望>のモデル)

だが、我々の欲望は機械というか道具によってかきたてられるというのもまた正しい。
松岡氏のあげている例では携帯ができたからメールしたくなる(むしろ僕は携帯にカメラがついたことの方が重大だと思うけど)、ピストルがあるから人を殺したくなる、など。(全体的に例が微妙な気が…)

ぼくに関して言えば、IS01があるから文章を書きたくなる、だろうか。
中古で買った当初は二三日で触らなくなっていたのだが、文章を書くことに特化したマシンとしての活用をはじめてからは何処へ行くにもポケットに入れている。さらに、キーボードを改造してからはますます文を書きたい欲が高まっている。
機械によって、人間の創造性が受肉するというのはこういうことなんだろうか。

ひるがえってiPhoneである。

僕も現在はiPhone 4Sを使っているのだけれども、これは決していいと思って使っているわけではない。
携帯代を親に出してもらっている以上端末代が一番安くて、しかもパケット定額プランも優遇されているiPhoneを選んだだけだ。
(僕がiPhone 4Sを買った時のソフトバンクの料金設定だと、iPhoneかそうでないかでパケット定額プランの料金が1500円近く違っていたはず。)

iPhoneは火以来の発明だとか人間にあてるパッチだとかいう林檎厨の発言を見たことがあるし、人間を拡張するとかいってる連中もいる。
しかし、僕に言わせればまったくそれは間違いだと思う。

まず、スレート型端末としての限界がある。
iPhone以降のスマートフォンでは主流のスレート型。iPad以降のタブレット端末もほぼネットブックやUMPCを駆逐してしまったといっていい。(スマートフォン=スレートみたいな誤解をしている人も多いけど、昔のスマートフォンはもっと多様だったよ)

昔のスマートフォン
E71はカッコイイし使えるし、傑出度で言えば
間違いなくNo.1だと思います。


しかし、スレート型端末は基本的にコンテンツを流すだけの機械である。
タブレットもそうだけれども、全面タッチパネルである以上ウェブサイトを眺めたりいれてあるpdfを眺めたりYoutubeを流したりというコンテンツを消費する用途には向いているが、コンテンツを創造する用途には合わない。
コンピューターを使った「表現」はいろいろあるが、現状のモバイル機器を考えれば、可能なのは「文字を打つ」(コーディング含め)、「絵を描く」(写真、メモ的なイラスト、簡単なフォトレタッチ等も含めて)、そしてDTMくらいだと思う。(単純に今のARM SoCの性能的にはCADなどもっといろいろできるのかもしれないが)
タッチパネルは汎用性こそ高くても、個別の用途への適応度は低い。
文章を書くのであればキーボード、絵を書くのであればペン(筆とかも含めて)。これらは長年使われてきた形であり、おそらくこれら以上のものはもう脳波を直接読み取るくらいしかないだろう。
写真の編集とかDTMはまぁできないこともないだろうけれど、戯れのレベルに留まる。
基本的にはスレート型端末は他人が作ったコンテンツを眺めるだけの機械で、それ自身はたいして創造力を持たない。
もちろんそれは悪いというわけではなく、書庫的に使えるスレート端末は便利だ。だが、僕にはiFive X2というより大画面で大容量のタブレットがある。だから、別にiPhoneにその用途で働いて貰う必要はないのである。

Android 4.4にも正式対応している
日本メーカーよりOSアップグレードもちゃんとしてるかも?


そして、個人的に一番イライラするのが予測変換を切れないこと。
PCで同人誌の書誌情報の整理をしている時にへんな当て字を使うアニメや漫画のタイトルを出してくれるGoogle日本語変換はすごい便利だと感じる。
しかし、それ以外の局面で予測変換が便利だと思う局面はほとんどない。
iPhoneの予測変換に至っては「名」とかを変換しようとしているのに候補は「何してる」「なしだと」「なんじにする?」とかそんなのばっかり出てきてすんごい邪魔だ。「名」ははるか後ろのほうの候補になってしまっているので、邪魔な「なんじにする?」達をスクロールしてってださなきゃならない。
学習機能がついているのでこれらは最近自分が変換した「な」から始まる文の一部な訳である。
だが、そんなに高頻度でおなじ文言を使うか!?
日常会話が「ヤバイ」と「カワイイ」でだいたい終わるような人間ならともかく、普通の生き方で使用する語彙量を考えても予測変換が役に立つということはそうそうないんじゃないだろうか。※
しかも学習も馬鹿だ。さっきあげた「なんじにする?」なんてのは一回で覚えるくせに、学習しない言葉も多い。
例えば、僕は抗がん剤について調べるのが好きなので「ゲフィチニブ」とか「ベバシマズブ」とかよく入力するのだが、まったくこれらは学習しない。(これはSimejiも同じだけど)
普通は予測変換は任意に切れるものであるのだが、iOSはそれができない。
なんでこんな仕様にしたのかまったくもって謎である。
予測変換が切れないということは、iPhoneは「文」くらいは書けても「文章」を書くツールとしては考えられていないということだ。
iPhoneやってると長文が書けなくなる

というような話を家族にしたら、意外と同じようなことを考えていた。
ならば、いっそのこと変えちゃおうという話にもなり、MNPすることに。
まぁ、上の方で絵を描くならペンが…と言っているのがヒントだったのだが、Galaxy Note IIIを購入予定。
LTEになってから、露骨なiPhone優遇料金プランがなくなっていたようだ。(それでもちょっと安いんだけどね)



話は変わるけれど、ゲームキューブのコントローラーにも同じような疑問がある。


明らかにAボタンを押しやすくした代わりにほかのBXYは押しにくくなっている。おそらく、ゲームではAボタンが一番使われるだろうから、という理由だったのだろうが…。
Aボタンがボタンを際立って多く使うようなゲームはコマンド式RPGとかシミュレーション系だけだと思うのだが、どうだろうか。
アクションゲームなどでもメニュー操作ではAばっかり使う。
しかし、これらはそれほどキー操作ミスなくかつ高速にボタンを押すということは要求されないような気がする。Aボタンが押しやすても大して恩恵は得られない。
一方、スマブラはじめ、アクションゲームはA以外のキーも多用する。アクションゲームではAが押しやすいメリット以上に、A以外が押しにくくなっているデメリットのほうがきいてくる気がする。
というわけで、Aボタンの押しやすさは結果として負の側面のほうが大きくなってしまっているのではないだろうか?

最強のコントローラーは?という議題では結構GCコンが上がるが、僕は以上のような理由で反対である。(一番はもちろん箱コン!)

Appendix

モバイル情報機器の種類は、大まかにQWERTYキーボードのないものが
携帯電話-スマートフォン-ファブレット-MID(5~7インチ)-MID(8~インチ)
←サイズ小、性能低                                         サイズ大、性能高→
MID=タブレット
あるものは
スマートブック-ネットブック-ノートPC
 
という感じだろうか。(ま、スマートブックなんて新製品がまったく出ていないわけだが)
それぞれ適した用途があるわけなので、もちろん全部あれば各種要求にもっとも適したデバイスが使えるというわけである。
しかし、そんなことをしていたら荷物は膨大になるし、バッテリー管理やファイル管理も大変。
なので、上の表で「隣接しないように」いくつか持つというのがいちばんいいと思う。
 
たとえば、ノートPCを持っているならネットブックではなくてスマートブックのほうを選んだ方が使い分けしやすいし、ファブレットがあるなら7インチタブレットはいらないだろう。
(Galaxy Noteのような特殊性のある端末もあるので一概にはいえないが)