極左冒険主義の冒険

「集中講義!日本の現代思想」という本を人から借りて読んだ。仲正昌樹という人が書いたものだがこの人はカルチャースクールのようなところで思想系の講義を行っているらしく、その講義録が結構出ている。僕もベンヤミン関連のものとカール・シュミット関連のものを読んだことがあった。

この本は、簡単に言うと日本の「左翼」の歴史について記したものである。戦前の日本共産党の動きから戦後の新左翼の登場、大学紛争や極左集団の暴力闘争、そしておとなしい「評論家」たちの登場といった流れを書いている。

大学時代はファッション的側面も多々あることは否定しないがフランス現代思想関連はちょこちょこ読んできた。でも、最近はそんなに興味がわかなくなってきている。「言葉と物」を古本で手に入れたけれども、「侍女たち」の解説の途中で止まっている。
ポストモダン思想が受けた時代というのは、なんだかんだ「豊か」な時代だったと思われる。「物質的には豊かになったけど、なにか満たされない…」という不満に答えようとするものであって、そもそも「物質的な豊かさ」すら失われつつある時代、そんな不満は後回しにすべき問題なのではないだろうか。

  

ジジェクからの孫引きだが、毛沢東の矛盾論はさまざまな「矛盾」(矛盾とっても、階級対立のようなもの)はある一つの主要な「矛盾」に従属すると述べたそうだ。今、都市圏以外の若者はろくに身分保障も受けられず年収100~200万円台で生活しているという実態にある。
このような社会にあっては、主要な矛盾は「搾取する資本家」vs「搾取される労働者」という近代的な階級闘争に回帰しているのではないだろうか。「生きづらさ」なんていう問題は現実として明日食べるものを買うことができるかという問題に比べては副次的なものである。かといってマルクスはさんざん「乗り越えられ」てきたわけで今更ナイーヴにマルクスに回帰するなんていうのもできない。そんな状況ではどうしても狭い問題領域を専門にする「小粒」な評論家が増えるのはしょうがないことだと思う。

日本社会が余裕をなくしている現れなのかもしれないが、2chで社会情勢について「まじめに怒っている人」が増えているような気がする。こんなところで怒ってもしょうがないんだから2chくらい楽しむためにやればいいのに、と思う。

本題に戻ると…
終戦からしばらくの間の左翼思想の特徴は、現実離れした教条主義であるという。というのも第二次大戦前の日本は最もそういうのがゆるかった大正時代ですら他の先進国とは比べ物にならないほど思想の自由が制限されていたのが理由だという。
このため、戦前戦中からマルクス主義に触れていたのはアカデミズムの世界の超エリートか命を賭けてでもマルクス主義を学ぼうとする超燃えている人だけであった。終戦によってだれでも学べるようになったが、そのような経緯からマルクス主義はグルによって広められる秘教的な魅力を帯びたものになっていたと言って良いだろう。
そのような中で、いわゆる新左翼はどれだけ前衛的であるか、を競うようになる。具体的には、どれだけ警察をはじめとする「権力」に闘争を挑んだかで評価される。

ファナティックであればあるほど「かっこ良く」、社会民主主義なんていう穏健な考え方は「ダサい」と考えられていたのである。

自分も往々にしてそんな考え方をしがちなんだけれども、それってそのときはかっこ良く見えるかもしれないけれども、後世には何も残らないことが多いと思う。
これは右の話だけれども、三島由紀夫の自決なんていうのは正直かっこ良くはあると思う。しかし、あれは美的な要素しかなく、実際あれで社会に変革が起きたということもなく政治的な意味は今日に至って全くないと言っても過言ではないと思う。

人間が価値判断を行う際には、どの評価軸で評価しなくてはいけないか、そして今自分がどの評価軸に重きをおいて評価を下してしまっているか、これを検討せずにナイーヴな判断を下してしまうことが多々ある。(だからそこらへんの訓練をつんだコンサルタントなんてものが有難がられるのだろう。)
特に美的な観点で何かを評価するのは重大な危険をはらんでいる可能性があるので、「美しい国 日本」なんて言っている連中には注意したほうがよいですね。