諏訪奇神譚異聞 下

さて、諏訪大社前宮と本宮の間には「神長官守矢史料館」というものがある。非常にこじんまりとしており、展示スペースは単身者アパート並みの面積しか無いのだが諏訪大社に行くのならば必ず立ち寄るべき。

守谷家というのは建御名方神侵入前の諏訪の支配者であり、 宗教的権威でもあった。それがどういうわけか征服された後もうまいこと立ちまわって「神長官」という諏訪大社上社の「人間」としての最高位についていた。明治維新後に諏訪大社神職の世襲制が廃止されたため、守矢家は神長官の地位を失い、また守矢家に伝わってきた伝承も一部失われてしまった。(秘儀は真夜中、火の気のなく真っ暗な祈祷殿で口伝されたという。かっこいい!)
それから長い時間がたち、25年ほど前に守矢家に伝わる文書等を公開する場所として建てられたのが神長官守矢史料館というところである。

この敷地内にはミシャグチ神という土着の神を祀る社がある。

御左口神社

  守谷史料館のしおりでは「諏訪大社の祭政体はミシャグチ神という樹や笹や石や生神・大祝※に降りてくる精霊を中心に営まれます。」とある。ミシャグチ信仰についての記述はほんのわずかしかないので想像だけれども、これは人格神よりむしろ「力」に近いものではないだろうか。専門家でもなんでもないけど、洩矢神とは別物だろう。
余談だけれども、卑弥呼とかデルポイの巫女に「降りてくる」神って名前付きの神様なんだろうか。こいつらも匿名の「力」素性の濃い神様なのでは。
※=諏訪氏。先ほど守矢家は「人間」として最高位の神官だったと書いたけれども、その上に生神の諏訪氏がいる。

このミシャグチ信仰は縄文時代から続くものだと考えられているようで、守谷史料館の建築コンセプトも竪穴式住居となっている。(結構有名な建築家の最初の作品だそうで。)
諏訪大社の祭りの特徴として下社は農耕に関するものが多いのに対し上社のそれは狩猟に関連するものが多く見られるという。つまり、農耕がはじまるより前から行われてきた儀式が形を変えつつも残っているということが示唆される。

その一つが、この史料館の常設展のメインテーマである「御頭祭」である。
御頭祭の再現が史料館に入ってすぐ広がっているのだが…串刺しになった兎、大量の鹿の生首、鹿の脳と肉の和物…。漫画に出てくる邪教の儀式みたい。(樹脂製の脳の和物以外は剥製なので迫真の出来。)これらの「料理」を「神人一体となって」食べたそうだ。また、かつては子供を殺害し人身御供にするというのも行われていたという。

串刺公を思い出す

これらの展示は江戸時代の菅江真澄によるスケッチ(1784年)をもとに再現されている。

脳和

つまり、この展示で再現されているのは近世の御頭祭であり、相当「上品」に変化した姿であるということが想像される。きっと古代には現代人が目の当たりにすれば目眩のするような祭りが行われていたと思われる。

ベンヤミンのいう「神的暴力」と「神話的暴力」、これがなぜそのような名付けをされたのかというのも関連しているだろう。
人間の奥底に眠る理性に縛られない力、その存在を思い出させる場所であった。