5/15~5/21のアンテナ

読んでいた本

なるほどデザイン〈目で見て楽しむ新しいデザインの本。〉

なるほどデザイン〈目で見て楽しむ新しいデザインの本。〉

今デザインの入門書としてはベストといった話を聞いたので読んでみた。目的に応じた技法の導入などわかりやすい。 でももっと「デザインとはなんのためにあるのか」みたいな話もちょっと割いてほしかったかなぁ。

個人的にはデザインとは人の行動に干渉するための手段だとおもうんだけれども。

ニュース

[http://wired.jp/2017/05/15/the-intelligent-intersection-could-banish-traffic-lights-for- ever/:embed:cite]

たしか路線バスが信号になるべくひっかからないような制御をしている自治体が日本にあったはず。あれって救急車・消防車も対象なんだろうか…?

緊急車両は信号無視してOKというルールはあるけど、実際あれけっこう危ないと思うんですよね。耳が聞こえない人がいるのはもちろん、音は聞こえてもどっちからきているかわからない人も少なくないと思う。イヤホンつけて歩くのだってゆるされているわけだし。

スピード違反の取り締まりなんか人がやる必要はなくて自動車一台一台に監視装置がついていればそれでOKなんじゃないかと思う。違反したらかってに銀行から罰金が引き落とされるシステムにしちゃえばいいのに?

(5/15)

gendai.ismedia.jp

対照実験の手法を現実社会に適用すること、総幸福を高めることはできるだろう。でも、公平性という観点からこれでよいのだろうか。

メキシコでは条件が同じ村々を選んで、給付金を提案する家庭と提案しない家庭での就学率の差を比べる実験が行われた。

ある年にこの実験が行われたとして、その年に運良く給付金をもらえる側になれた子供と、運悪くもらえない側になってしまった子供がいたとする。前者は学校に通うことで十年後頭脳労働ができる状態になっており、村を出て高い収入が得られる仕事につけました。でも後者は親が学校にいかせてくれず、一生村の中で貧しい暮らしをし、その子供も学校に行かせてもらえませんでした…。

数年後、補助金には高い効果があると結論付けられ、全家庭に給付がされるようになったとする。でも実験段階で「もらえないほう」になってしまった子供は一生恩恵をうけることなく人生を終える可能性だってあるわけだ。

比較実験を導入する前よりより多くの人が幸福になれるんだからいいんじゃないか、とめをつぶってしまうかどうか。

(5/16)

news.denfaminicogamer.jp

なぜ継ぎ盤がフェアに見えないのかというと、普段の棋士はそんなことしてないから、ということになります。結局、電王戦という異種格闘技戦を最終的に成り立たせていたのは、棋士がいつもどおり盤の前に一人で座って考えながら指している、という「見た目」だったんじゃないでしょうか。そこに継ぎ盤やタッグを組むソフトが加わると、途端に何をどう見ていいか分からなくなる。オリンピックに義足のアスリートが出てくるとよく分からなくなってしまうように、です。

なるほど。たしかに見た目として棋士の側は「今までの将棋」をさしてないとダメなんだろうなぁと思う。

でも

オリンピックに義足のアスリートが出てくるとよく分からなくなってしまうように

は違うような気がするなぁ。これは24時間テレビ的な「(健常者には及ばないけど笑)頑張ってる姿」を見たい(感動ポルノとよばれるやつですね)欲求は、観察対象が自分たちを超えることは許さないという感情が原因だと思う。 動物だって人間の言葉を理解してはねたり回ったりしているうちはかわいいかわいいと言われるけれども、それ以上は気持ち悪いのである。(「猿の惑星」みたいな?)

(5/18)

diamond.jp

「ニュース」(この記事を書いた人の言うニュースらしいニュース)を見て世界を知ることが大事だ、という感覚そのものが古くなっているという考え方はないだろうか。まーどんどん上へ先へ行きたい人にとっては重要なのは変わりないけれども、どうせどんどん日本は衰退していくんだし、のんびり生きよう。仕事は単純でつまらないし給料上がらないけどいいじゃないか、無料の猫動画見てれば癒されるし暇もまぎれるし…という生き方もありだと思うんですよね。

(5/19)