ブロックチェーンのギョーカイにもいろいろ派閥がある。
その中に、DAO=自立分散組織信者がいる。
間違いなく今会社という形態をとっているが実は会社よりもそういう形態が適している組織はあるだろう。そういう会社は今後同じ目的を持った自立分散組織にとってかわられていくだろう。
個人的にそうなるだろうなと思うのはタクシー。まずはUberのような末端だけが分散して管理部分が中央集権的な中間的存在になり、そのうち管理部分がスマートコントラクト化されていくというのは十分考えられる。
でも、そうなっていくのはほんの一部なんじゃないだろうかと思う。
大学院を卒業して2年ちょっと、「気楽なサラリーマン」として雇用されたことでわかったことがある。会社が階層構造を持つのは、「何をやらないか」の意思決定を行うためだ。
世の中には無限に事業の可能性があるわけだが、それをすべて叶えるには無限の資本と無限の資源を必要とする。だから、無限の可能性を切り捨ててほんのいくつかの可能性を選び取る必要がある。
わかりやすいのはハードウェアの開発だと思う。
人間は自分のほしい機能をあれこれ追加しようと考えるのは好きだけれども、切り捨てるのはあまり得意ではない。いらん気もするけど、あったら使うかも?とそれが必要になるエッジケースを思いついてしまいがちだ。 プロスペクト理論じゃないが、あって邪魔になることを想像するより、なくて困るケースを想像するほうが説得力を持ってしまう。
このもとで、みんなが平等な自立分散組織がものづくりをしようとしたらどうなるか。各自自分のほしいものを盛り込もうと頑張るだろう。また、他人の提案に「いやそれはいらんでしょ」というのは言いづらい。なんとなく関係も悪くしそうだし、なにより自分も同じことを言われるかもしれない。
製品ができあがるまでの期待の段階では、自分の欲しい機能が盛り込まれることが効用を高くするが他人の欲しい(余計な)機能がごちゃごちゃ載るのはそれほど効用を低めない。 だから、みんなの欲しいものが詰まった十徳ナイフが出来上がってしまう。
しかし、実際に製品の魅力を高めるのはいらないものを削ぎ落とすことである。ある明確なビジョンがあって、その実現に必要なものに注力してほかを諦めること。そちらのほうが重要なのである。
タクシーはなぜ自立分散組織でうまくいくかといえば、タクシーが我々に与えてくれるのは単にA地点からB地点に移動できるということであり、そこに質の差がないからである。(経済学者の言う完全競争市場で供給される財っていえそう。) そういう、質の差がない完全に同一なものを提供している会社って、そんな思いつかない。
だから、ヒエラルキーのある組織はこれからも主流であり続けるのではないと思う。
日本車に魅力がなくて、イタリア車に魅力があるっていうのはきっとそういうことですよね。