自分の欲望に向き合っているか?

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最近スキーにも一緒に行った、自分よりひとまわり年上の職場の先輩※が、「自分の欲望がなにか」ということに向き合うことが大事だとよく言っている。 その人も昔、保険営業を始めた際に先輩からそう言われていたという。

この欲望というのは崇高な目標とか夢に限った話ではない。高級車に載っていいかっこしたい、とか異性にモテたい、といった低レベルで利己的なな欲こそが重要だという。 その低レベル な欲から目を背け、社会的な意義のある外面の良い欲ばかりにとらわれていると、自分が何をしたいかではなく、他人(というか社会?)の望むように動くようになるだけ。 それでは自分の満足は得られないし、自分の満足が得られないままだと何をするにもモチベーションも維持できなくなってしまう。

(もちろん、他人にほめられることが一番欲することであるという場合もあるだろうけれども。)

若いうちに自分の低レベルな欲を認識し、それを基礎において自分が何をして何をなさざるべきかを決める。 そうすると自分の道をぶれずに進めるようになるという。

ここで考えてみると、背が高くなりたい、といったのはどうなのだろうか。 これはジャック範馬みたいな手術を受けるという手もなくはないが、基本的にはどうしようもない。 これは欲ではなくて願望だから考えてもしょうがないとするか、それとも背が高くなるのと同質の満足を得るための他の手段に気づく機会として向き合うか…。

そう言われて考えてみると、意外と自分の欲って出てこない。 出てこないじゃなくて、自分の中の社会性?超自我?が抑え込んでいるんだと思うけれども。

人に自分の欲望を話すとき、一般にはこういう低レベルな部分を話すことはない。 だから、まるで世の中の人はそういう欲を持っていないのではないか。持っている自分は恥ずかしい。 というふうに思ってしまう。

しかし、世の中の人も中にはそういう欲望が持っているがわざわざ言わないだけ。 それを持つことは恥ずかしいことではない、という認識を持つべきだということだと思う。

人間には無限の可能性がひろがっていて、「やってみたい」ことは多い。 でも、「やり通したい」ことなんてそうそうない。

自分の奥底にある欲望をすこしずつ満足させていく積み重ねによって到達できることこそが、自分の本当に「やり通したい」ことなんじゃないだろうか。


※ 正確には同じ会社の人ではない。↓の記事でも述べたように、僕が今いるのは同級生のつくったスタートアップなので先輩というものはいない。 この人はそこが入居しているシェアオフィスにいる人である。

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