ヨーロッパの呪われた部分、ジプシー問題

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ルーマニアという国の特徴のひとつがヨーロッパ1ジプシーが多いということ。

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ちなみに、日本だとジプシーは差別語だから使ってはいけません、ロマという言葉を使いましょうということになっているが、両者には意味として隔たりがある。 ロマは単一の民族の自称であるのに対して、ジプシーはヨーロッパの定住民が移動しながら暮らす人々を総称して他称したものである。(ロマはジプシーに含まれる) なので、ロマではないジプシーがたくさんいるわけだ。 それなのにジプシーをまとめてロマと呼び変えるのは、それこそおかしな話である。 ルーマニアにいるジプシーの大半はロマらしいが、ロマとは限らない。というわけでここではジプシーという言葉を使う。

そもそもの話、ジプシー問題はヨーロッパ定住民たちが他者を「ジプシー」という言葉でひとまとめに識別したことによって生まれたものなのだ。 なので他称としての「ジプシー」という語を使わなければ問題にすることができないはずだ。


人口の約10%、だいたい200万人程度のジプシーが住んでいる。これは人口でも割合でも最大だ。 ジプシーといえば拠点を持たず荷馬車隊で生活しているようなイメージを持っていたけれども、家を持って定住しているケースも多いのだという。 ルーマニアでも、いくつかジプシーの村だというところを通った。

この記事で取り上げられている豪華に見えて豪華じゃない家も外から見た。作りかけでほったらかしてあるなぁと思ったけど、ずっとむかしから作りかけだったようだ。

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ただ、そういう場合も突然車でどこかに旅立ってしまってしまうことがある。

共産主義の時代は、政府によって定住を強制されていたためガイドの人たちもジプシーの友達がいたそうだが、チャウシェスクが処刑されるとどこかへ去っていってしまったのだという。

ヨーロッパといえば人権意識が高そうなイメージがあるが、ルーマニア人はじめヨーロッパ各国の人と話した感じ多くの人がジプシーについては自分たちと同じ人間だとは考えていないように感じる。 (話したのが主に10代20代だからそもそも社会問題にそんなに興味がないという可能性があるが笑)

「それが彼らの伝統だから、それが彼らの望む生活だから」といいながら自分たちの受けている社会福祉を与えないようにしているというか。

たとえば、↓の問題なんかも「ジプシーはどうせ教育なんかもとめてないっしょ」という先入観が根底にあるのではないだろうか。

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もちろん、事実ジプシー側が伝統だからを理由にして他者と妥協することを拒んでいるのも一部事実ではある。 我が子を学校に行かせず、盗みを教える親がいるというのも確かだろう。 でもそこでジプシーを違う存在だからと関わろうとしないのは日本にはびこる自己責任論と同じようなものだと感じる。

その一方で、ジプシーの子供を無理やりジプシーのコミュニティから奪い取ってジプシー文化を根絶やしにしようという動きもある。

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WW2中のホロコーストでも、ユダヤ人とともに劣等人種として取り扱われたわけだが、いまやホロコースト=ユダヤ人迫害というイメージが出来上がってしまっている。 ベルリンにはホロコースト犠牲者の記念碑があるが、それも「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」であって、ジプシーについては何もない。(作る計画はあるらしいが??) ユダヤ人よりも人口も少なく、団結力もなく、教育水準が低いためなのか自らの権利を主張し、語ることのできる人物がいない・政治力がないということなのかもしれない。 ユダヤ人はコミュニティ内にいるいけ好かない奴らだったのに対して、ジプシーは全くの他者ということなのだろうか。

自由主義や法の下の平等といった考えが生まれた地でもあり、それを輸出しているような国々の内部にこのような問題が存在しているのがなんだかなぁと思う次第です。

ヨーロッパの社会民主主義的な高福祉が、帝国主義時代から続く経済的豊かさと不可分であることは否定しようがないだろう。 それらの国々も相対的にかつてほどは豊かでなくなっていくこれから、基本的人権という理念を人類は守り続けることはできるのだろうか。