Body as a Serviceという考え方? ~湘南美容外科の院内で考える

湘南美容外科でヒゲ脱毛を受けている

湘南美容外科でヒゲ脱毛をしていたのだが、ようやく全6回の過程が終了した。 途中マルタに行ったり、そこで日焼けしすぎてレーザーがあてられなくなったりしてしまったので、1年以上かかってしまった。

ヒゲ脱毛の多くは6回が基本で、基本治療後は一回100円とかで一生涯あてほうだいというものが多いが、湘南美容外科のは6回だけ。その代わりに他のところに比べて安い。 まぁ美容クリニックの寿命がどれくらいなのかもわからないし、契約してから初回行くまでの間につぶれたという話すら聞いたことがあったのでスモールスタートすることにした。

まぁレーザー脱毛自体の話は本題ではないので軽くとどめると、照射後3,4週間たつとすごく薄くなる。でもその後2ヶ月くらいたつとまた生えているという感じ。 6回目の照射でどうなったかはわからないけど、ゼロにはならなさそうだな、、、というのが現時点での所感である。

レーザー脱毛は医療行為らしいんだが、初回以外医師と顔を合わせることはない。(マルタ帰りすぐに行ったときは日焼けがひどいから一回見てもらう、ということで医師を呼ばれたが、そういうイレギュラーがない限りは本当に会わない。ちなみにこのときは延期になった。)予防接種と同じで看護師でもやっていいようだ。 受けている感じテクニックも何もなく、正直資格なんかなくてもだれでもできる仕事っぽくはある。レーザー機器なので禁止事項さえ守らせることができれば。

機械がいくらかはわからないけれども、場所もそれほどいらないし回転率も高いし(1回20分ほど)、リターンが計算しやすい投資案件なのだと思う。 売上発生とサービス提供のタイミングがずれるので、会計上は違うんだと思うけど単純に計算すればその機械があれば20分で5000円の売上をあげることができる。 不動産投資みたいなものかもしれない。

今山手線に載ると広告の半分は脱毛サロンなんじゃないかってくらい脱毛が盛んだが、こんなにも脱毛サロンが多いのは、脱毛サロンにお金を貸すところが多くてビジネスとして安定的に成り立つからなのかもしれない。

院内放送

さて、そんな感じで湘南美容外科なのだが、湘南美容外科に行くと院内のモニターには自主制作番組や整形に関連した番組が流れている。最近だと、Youtuberに整形をさせる番組を流していた。

www.youtube.com

まさしくこれ。Youtubeを見るとわかるけど、他にも多数制作しているようだ。

自分はヒゲ脱毛だけという独立性の高い治療だったのでよかったのだが、いわゆる「美容整形」をしに来ている人は、これを見て「そういえばここも直さないと」という感じで思うのだろうか。

それ以外にも、やたらポイント配布をして次の整形をさせようとしたり、月刊の会報みたいなもので「今月のおすすめ施術はこれ」と行った感じで次から次へと整形を勧めてくる。※

※自分のケースでは、そもそもヒゲ脱毛は約30000円だったのだがクーポンで1万円引かれ、それとは別に1万円分ポイントプレゼントというものだった。その後誕生月に再び1万ポイント配布。これらのポイントは利用期限が短く、付与されてすぐに意思決定をする必要がある。

美容整形をする人しない人の壁

美容整形ってする人はめっちゃするけどしない人は近づきもしないのでなかなか理解がされづらい部分があるのだろうと思う。 整形こそしなかったけれども、その情報に触れてみて思ったのは、美容整形って結構哲学的な部分で違う生き方を選択するものなんだろうなぁと感じた。

整形をしない人にとっては、自分の身体はいろいろ不満こそあれ、そう生まれてしまったからには受け入れざるを得ない所与のものである。でも美容整形を選択肢に入れると、ソフトウェア的に順次アップデートして良くすることができるものとなる。

最近のトレンドとして「モノからコトへ」ということが言われいている。自分の身体というのは手放しようがないという点で究極の所有だ。と考えられている。 しかし、身体も物を所有するというよりかは身体を通して得られる体験をするための手段に過ぎず、体験を良くするためには徐々にアップデートしていくことが有効であるよ、というのが整形の提案することなのだろうか。 Body as a Serviceとはこういうことである。

テクノロジーで外見はなくなる

これは前から考えていることなんだけれども、AR/VRとディープフェイクの組み合わせはこれをますます推し進めると思う。 TPOにあわせて服だけでなく体つきや顔も変えて出かける(見られる側のチョイスを見る側に)ことができるようになる。レディプレイヤーワンみたいな話かもしれないが、これは今の服飾・化粧の自然な延長でしかない。 反対に、自分の見たい顔や体を自由に相手に投影することもできるようになるだろう。 具体例はご想像におまかせすることにするのだが、これはかつてない革命的なことが起きるだろうと思う。

そもそも、自分の顔は鏡を通してみるしかない。直接に「体験」することのできないものである。 実はそれを自由に作り変えることって、我々にとってそこまで受け入れは難しくないのではないかと思う。

猫や犬くらいだと鏡を見ても自分だと認識できていなそうだが、そもそも自分の顔や体を認識するというのがあまり動物的でないというか、人間が後から発明した知覚のように思う。

となってくると、我々のアイデンティティを世界にアンカリングしてくれるものってなんなんだろうか。 それを見つけることができたらxR時代に大成功できるかもしれない。

時代とともにかわる人体への処置への認識

余談)

中世ヨーロッパでは、メガネは忌避されていたそうだ。視力の低下は神の思し召しであり、それに道具で逆らうなんてとんでもないということだったようだ。 (外科手術とかはどうだったんだろうか。。なぜメガネだけという気はする。)

gendai.ismedia.jp

整形もそのうちこういう昔の人はわけもわからず怖がっていたらしいよプププみたいな扱いになるのかもしれない。