Society5.0がよくわからないが、わからないなりにまとめてみる

なんとか N.0

https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/society5_0-1.jpg

最近、諸事情によりUtility3.0とかSociety5.0とか、(英単語)N.0というキーワードに触れることが多い。

Utility3.0はわかりやすくて、1.0が発電→送電→配電→小売までが一気通貫して行われている状態、2.0が発電や小売が自由化された状態、3.0が送電や配電も含めてマーケットメカニズムにのっている状態ということだ。 ドメイン知識がなければなんのこっちゃという感じだけれども、制度設計で明確に指し示されるものであり、あいまいさはない。

http://www.chademo.com/wp2016/wp-content/japan-uploads/2018GA/TEPCOPG20180530.pdf

Industry4.0というのは、第一次産業革命が蒸気機関(内燃機関)、第二次が電気、第三次がコンピュータ制御とこれまで第三回の産業革命が起きてきたが、IoTを使って4個目を起こそうというスローガン的な要素が入ってきており、正直3.0と4.0の間には明確な境目がないように思う。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c8/Industry_4.0.png

↑数が増えてるだけやん!という。

工場で生産しているのに、顧客一人ひとりにあわせた製品をつくれるようになる、とかARグラスで作業が効率的になる、といった個別具体的な話がパッチワークされているけれども、いまのところ3.0と4.0の間には使われるコンピュータの性能があがった、安くなったのでこれまでよりもたくさん使えるようになった、程度の違いしかないように感じる。

もちろんその性能差が歴然としているので、量的な差異は劇的なものだというのは認めるが、蒸気機関以前と以後ほどの本質的な違いがあるかといえばないと思う。 「後の時代から見て、ああこの時代で3.0と4.0が切り替わったね」と言わしめるくらいすごい変化をおこそう!というお気持ち表明だととらえるくらいでよいんじゃないだろうか。

Society 5.0とは何か、公式な定義

さて、本題のSociety5.0である。

Society(ソサエティ) 5.0 人間中心の超スマート社会

Society(ソサエティ) 5.0 人間中心の超スマート社会

  • 発売日: 2018/10/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

内閣府によれば、

www8.cao.go.jp

Society1.0から4.0までは

狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)

をさしていて、Society5.0とは

サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)

のことのようだ。それまでは「狩猟」とか「農耕」と全部2文字でおさまっていたのに、突然「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の」と67文字に増える。

Industry4.0と同様、スローガンとしての意味合いが強いのはそうなのだが、Industry4.0のほうは数字が増すにしたがって人間が新たに手に入れたものが積み重なっていくのみというシンプルな図式なのに対してこちらは1.0から2.0のみ完全な切り替わりで、2.0以降は積み重ねとごちゃまぜになってしまっている。 (これはちょっと重箱の隅をつつくような話になってしまったかもしれない。)

いうなれば、1.0から4.0までは社会の中心的な産業を表す言葉が取得物を主題に与えられている。野生動物の肉を得る「狩猟」、農作物を得る「農耕」、人工物を得る「工業」、情報・サービスを得る「情報」と。狩猟以外は生産物といったほうが通りがよいだろう。 それに対して、Society5.0では、「何」を取得するのかが語られない。ここがポイントで、これまでは人間の満足は生産物に比例するものだと単純化して生産物を最大化しようというのが社会の目標であったが、そうではなく人間の満足に目を向けよう、という話なのだと思う。

自分なりのSociety5.0理解

まぁそういう話それ自体はいい話なのだが、「モノからコトへ」という言葉のほうが端的によく表せていると思う。

https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/society5_0-2.jpg

↑何か言っているようで何も言っていない絵

そこに「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより」という手段の話とか「経済発展と社会的課題の解決を両立する」みたいな経過というか言い訳の話を同居させるのが良くないんだろう。

まず手段は、人間の満足を中心に据えるためには多くのデータを扱わなければいけないので、ここで言われるような手段は蓋然性がある。でも、それしか手段がないとは限らないわけで、目的が主なのなら別に手段を限る必要はないだろう。「サイバー空間とフィジカル空間が高度に融合されたシステムによるけど人間中心じゃない社会」と「サイバー空間とフィジカル空間が高度に融合されていないけど人間中心の社会」、どちらかがSociety4.4でもう片方がSociety4.6だとしたらどっちがどっちに当てはまるのか。

経過の話についても、人間の満足は必ずしも生産の増大を必要としないので、満足を増やしつつもエネルギーや資源消費を減らしたりといったことが可能になる。でもそれは「こういうこともできます」という話だ。

目的も手段も経過も全部あわせてSociety5.0って、スコープが狭すぎるんじゃないだろうか。 いろんな先生方の言葉を聞いているうちになんだかよくわからないものになってしまう、というのはありがちな話なのだろうけど、そういうのこそ次の社会ではなくなってほしいものですね。