機械に従って生きる ~Uberの革命

シェアエコノミーといえばUberとAirbnb

Uberは世界で最も多くの配車を行い、Airbnbは世界で最も多くの部屋を手配する 両者とも、わずか10年そこらでその地位を築いた。

それを可能にしたのは、UberもAirbnbも自社リソースを使わなかったからだ。すでに世の中にあるものをつなぐだけだったので圧倒的に早くできたのである。 世の中に履いて捨てるほどいる免許を持ったドライバー、自家用車、家をそのまま使うことができたので、お金を貯めるなり借りるなりして車や部屋を買わなければいけない既存のタクシー会社やホテル会社よりも早く大きくなることができた。

シェアエコノミーの雄という点では、UberとAirbnbが並び立つ存在であるのは確かである。

UberとAirbnbの違い

しかし、この2つの間には大きな違いがあると思う。

Airbnbは基本的に空き部屋をホテルにできるようにアプリで情報整理しただけだが、Uberは、タクシーという専門知識を必要とする業務を誰にでもできるようにした点が革新的だと思う。

地図の進化論: 地理空間情報と人間の未来

地図の進化論: 地理空間情報と人間の未来

「地図の進化論」という本にUberの話が出てくる。

東京やロンドンといった都市部のタクシー運転手は試験をクリアして、その地域の道について一定以上詳しいという基準が保証を得ないといけないそうだ。 それがあるので、乗る側としては安心して乗ることができるというようになっているようだ。(僕はタクシー運転手を信用していないけれども。)

素人ドライバーは悪意をもっていなかったとしても、知識に信頼はおけず最適な移動ルートをしらない。悪意を持っていたら知っていてもわざと遠回りすることもありうるだろう。 だから素人がタクシードライバーをやっていたとすると、遠回りされて不当に高い運賃を支払わされる可能性がある。

それを解決したのがUberだ。Uberアプリは、道案内をドライバーに提供することで素人のドライバーでも一定の知識を保証することができる。 ユーザー側としてもアプリが最低基準を保証してくれるので、少なくともそのラインは保たれるということで安心して乗ることができるというわけだ。

ソフトウェアによって、専門知識や長時間の教育なしで本来専門的な仕事を誰にでもできるものにしたのである。

今後は機械が指示を出して人間がそれにしたがうだけの仕事が増えるだろう

ソフトウェアの開発は非常に早いサイクルでまわすことができる。特にWebの場合は、知らない人からすると信じられない速さで動く。

Etsyというハンドメイドフリマサービスは1日に50回デプロイ、ソフトウェア産業以外の人にわかるようにいうと1日に50回もプログラムの更新をリリースしているそうだ。 裏方で1日に50件作業をした、ではなくて50回ユーザーが直接触れる製品を更新しているのである。

www.infoq.com

それぞれは軽微な変更といえ、これはハードウェア産業では考えられないだろう。

自動車のモデルチェンジが1日に50回を実現しようとすると現状のせいぜい5年に1度くらいなのを10万倍近く早くしないといけないということになる。 これは極端な言い方だが、ソフトウェアとハードウェアの間には開発スピードのスケールが全く違うというのは明らかといっても問題ないと思う。

なので、コンピューターが現実世界のオブジェクトを操作しようとする場合、ソフトウェアはその進化のポテンシャルをまったく活かすことができない。ソフトがどんどん新しくなっていけるのに、ハードが変わらなければできないことが多い。 そこでコンピューターと現実のオブジェクトの橋渡しをするのに人間が役に立つ。

人間は適応能力をもっているので、すさまじい勢いで進化するソフトウェアの意図を3D世界での動きとしてRealizeするのに最適だ。そば打ちもできるしイチゴの摘み取りもできるし、機械ハードウェアよりも柔軟に動くことができる。 というわけで、これからはひとにぎりの人たちが設計したソフトウェアの指示に忠実に従うだけの仕事というのが今後ますます増えていくように思う。

いろんなものがUberっぽくなっていく

たとえば、料理はARグラスがあったらとても簡単になると思う。 多くのレストランは最低限の知識があれば誰でもマニュアルどおりにやればよい、という感じになっていくかもしれない。

食材の良し悪しは別として、一流シェフの技というのはARグラスとアプリで誰にでも簡単にコピー可能なものになっていく。(そのレシピを売る会社は儲かると思う。レストランのUberができる。) 「てんや」の社長は昔テレビで似たようなことを言っていた。「天ぷらのあげ方というのは具材と油の温度と時間の関数だから、マニュアルさえ作ってしまえば誰でもできる。職人の技なんてものはいらない。」くらいは言い切っていたと思う

僕は寿司の握りの違いを感じたことはないが、一旦あるということにしよう。寿司の握り具合はARグラスだけで伝えるのは難しい。 だが触覚にフィードバックを与えることでいろいろな職人の力加減は体験できるようになる。これを使えば寿司職人も数日でなれるようになるかもしれない。

www.moguravr.com

それはよいことなのか

機械は人間のように感情むらもなく、同じことを繰り返すのであれば効率的に仕事ができる。 人も機械化されることで、生産性があがってより多くの給料をもらえるかもしれない、同じ給料だったら少ない労働時間ですむかもしれない。

また、コンピューターのほうが適切に指示出しができるというのもあるだろう。 感情に左右されず、相手の状況をモニタリングしながら気持ちいいように指示がだせるようになる。(「また同じ間違いしやがって(怒)みたいなのがない。」)

おそらく、人間の上司と働くよりもストレスがないだろう。

世の中の多くの人は機械に従って仕事をしたほうが、仕事以外でより「人間的に」生きることができるようになるのではないだろうか。 本質的にクリエイティブな仕事をしている人って世の中にはほんのひと握りしかいなくて、あとは自分の裁量の範囲で多少クリエイティビティを発揮する遊びをしているくらいだろう。 だったら、日々の糧を稼ぐ部分は機械になってしまってとっとと終わらせ、後の時間生産的ではなくても自分のやりたい、人間らしい活動にエネルギーを注げるほうが幸せなのではないかと思う。

Uberの運転手はえてして最下層の仕事を社会保障無しで押し付けられているかわいそうな人たち、というイメージで語られるが、やはり未来はこっちだと思う。 (このイメージには、やはり会社にしがみついている方がいいというバイアスがないか?)