大人たちが乗り換えの話好きすぎる件

今の仕事環境では、けっこう年の離れた人と接する機会が多い。世間的にはこっちが普通なのかもしれないが、これまではWeb系企業にいるということもあり、ほとんどが20代30代、40代の人と話すことすら珍しかったので新鮮な気分である。

日本の路線図

日本の路線図

そんな環境にいて、ふと思ったことがある。大人の人たち、乗り換えの話になると急に饒舌にならないだろうか。 ある人が、「次予定はどこどこでミーティングで〜」みたいなことを言うと、その場にいる人達がわらわらと「そこだったら△△乗り換えで○○線ですね」「いや□□駅で× ×線って言う手もありますよ」みたいなことを一緒に喋りだす光景をよく見る。

乗り換えなんて今はスマホがあるんだからすぐ調べられるわけで、人に教えられる必要もない。 なのになんでみんなそんなに乗り換えの話をするのが好きなんだろうか。

自分と電車

ついでなので自分と電車について振り返ってみる。

電車に乗った記憶があるのは小学校の頃から。当時は新京成線沿線に住んでいて、最寄り駅には自動改札知らなかったの覚えている。(途中でついた) 初めて1人で電車に乗ったのは小学校4年生位だろうか。船橋に母親を「迎え」に行っていた。後になって路線図が読めるようになったとき、乗り換えをしていたと言うことがわかった。我ながらよくやっていたように思う。

その後関西に引っ越してからは電車にあまり乗らなくなった気がする。はじめに住んだ西宮ではまだ阪急に乗って梅田まで行く事はあったけれども、その後に住んだ京都はバス社会と言うこともありめったに電車に乗らなくなった。京都に住んでいるとバスと自転車だけで大体用事が済んでしまう。

電車によく乗るようになったなと思うのは中学3年になって東京に戻ってきてから。塾に通うために毎週電車に乗らざるをえなくなった。その後高校に行くのにも電車に乗るようになった。当時住んでいたのは西武多摩川線の沿線でここもまた自動改札がない駅だった。こちらは今でも切符は駅員が回収しているような駅だ。

toyokeizai.net

ただ途中で引っ越してから高校も自転車通学をするようになり再び電車にはあまり乗らない生活になる。大学に入ってからも駒場キャンパスに通う間こそ電車に乗っていたが本郷キャンパスに移ってからはまた自転車通学。大学生の時は人付き合いも悪かったので誰かと出かけることもそんなになくほぼ生活は自転車で移動できる範囲で終わっていた。

本郷キャンパスに移ってからは就寝を卒業するまで4年間ずっと自転車通学をしていたことになる。

そして就職をしてからはずっと電車通勤。もうそろそろ、5年になる。

振り返ってみると、自分の人生には電車に乗る時期と乗らない時期が数年ごとに交互にあるようだ。

自分の性格を考えると、電車に乗ってまで東京都内で行ったことのない街に行ってみようということにあまり興味がないなぁ、ということは思った。 北東部のあたりからあまり出たくないし、出ないなら自転車で済むし…という感じ。

もう一つの気付き

路線図の話に加えて、今日もう一つ見つけた。同じフロアに入っている会社に新しい社員の方が入ってきた。どうやら転職に合わせて引っ越しを考えているようなのだが、その人に対して「○○は家賃たかいよ、隣の××まで行けば安くなっていくけど…」「△△のあたりおすすめやで」等々。 ああ、これ乗り換えとおんなじなのでは…?と思った。

「行動観察の基本」という本を読んだ。これが、書名に反して期待していた行動観察に関するメソドロジーなどについてあまり書かれておらず、著者の人が行動観察の提供を通して感じた人生観みたいなことについて大部分が割かれていた。この中で著者はマズローの欲求の段階説を取り上げ自己実現欲求のさらに上に他己実現欲求というものがある、ということを語っている。

「行動観察」の基本

「行動観察」の基本

  • 作者:松波 晴人
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

要するに人は人の役に立ちたいと言う欲求があるということだ。路線図の話だったり住む場所の話だったりというのは、この欲求を手軽に叶えてくれる手段の1つなんだと思う。

逆に言うと、人に路線図を教えることに興味がない自分はまだ自己実現欲求が満たされていないと言うことなのかもしれない。もしくは、あきらめていないか。まぁ、いい方に捉えておくことにしようと。