弱いつながりを探すには

Withコロナの時代、会わなくても良い・移動しなくても良いテクノロジーの受容が一気に進んだ。つい身近なところでも1000万円クラスの契約が一度も会わないまま結ばれるというのを目の当たりにして、周りがすごい時代になったものだと言っているのを聞く。(自分はコロナ前の営業を知らないのであまり感慨もないものなのだが。)

これまでは、礼儀だからみたいな曖昧な理由で起きていた余計な出張・移動がZoomでいいじゃんとなり、移動に由来するCO2排出量も減っていくことになるだろう。

これがいいことなのか?というと実はそうでもないような気もする。これまで曖昧な理由で残っていた移動がなくなるということで、これから移動による格差が拡大していくのではないかという危惧がある。

「弱いつながり 検索ワードを探す旅」

「弱いつながり 検索ワードを探す旅」という本を読んだ。 入ってくる情報が環境に左右され、入ってくる情報によって人の知識は育ち思考は方向づけられる。 いつも同じ日常にいると、その環境を相対化できず袋小路に入り込んでしまう。

そこで、「観光客」となって違う環境に身を置き、日常では触れないものに興味を触発されて、そこから色々な新しい情報の探索を行って照射を浴びようと言う話である。

非日常で見たものから、日常の暮らしでは出会わないようなワードに出会ってそこから知識を広げて今の自分の環境を相対化する、それこそが旅の意義であると言うのが僕なりのまとめである。

まぁ確かに、旅先でスマホばっかりいじっているのは見た目としては旅を楽しんでいないように見えて、背景情報をしっかり見ながら観光地を回った方が学びとしては大きいのは納得。

移動することの高級化

LCCのおかげで、お金がそこまでなくても異なる文化の地へ訪れることが安価にできるようになってきていた。 それはひとえに、狭い空間に人を詰め込むことによって実現された。

しかし、感染症の恐怖によって今後は座席は間を空けなければいけなくなり、再び旅は高級品になっていくのではないかという恐れもある。

まぁ、ヨーロッパに住んでいるユダヤ人やジプシーがヨーロッパ各地で迫害を受けているように原因の全てがそうとは言わないが、他なる集団に対する恐怖や差別感情の多くは、実際に見たことがない故の無理解から生じるものが多いと思う。

ネットのニュースで切り取られた、エクストリームな瞬間(例えば韓国の反日デモとか?)だけを見て、韓国人はそういう集団なのだと思い込んでしまうことなど。

同じ人間ではあるし、言葉は違えど共通する部分の方が多いはずなのだが、編集された姿だけをスクリーンを通して見ているとなんだか違うところだらけの集団に見えてしまう。

デジタル技術は基本的に既存の繋がりを強化する方に強い。(人は新たな出会いをするより、すでに見知った相手とだけ交流している方が負荷は低い。もちろんそれでも新しい繋がりを作れる人もたくさんいるが、マスで見ると新しい繋がりはむしろ阻害されると確信している)

移動が減り、デジタルの「非接触」なつながりかたが普及されるにつれ、より社会は無理解と分断、差別が増えるのではないかと危惧している。

弱いつながりを探すには

外出をせずにとなると、ネットよりは、本を読む、テレビを見るといったオールドメディアを見ていた方が自分の意図しない情報に触れられていいように思う。

Amazonでおすすめされる本ではなくて、図書館での偶然の出会い。

余談「不要不急」で移動の権利を奪われる

外出自粛を訴えかける都知事は、毎日会見をしているところを見ると出庁しているようだ。 お前らの出社は不要不急だが、自分の出庁は不要不急ではないと言うメッセージなのだろう。

わざわざ移動する「価値」があるとみなされている人だけが移動することができて、インターネット越しでは手に入らない情報に触れる。 そうすると、その情報を生かしてさらに自分の価値を高めることができる。

こちらから言えば、雪は冬が終われば溶けてしまうし、夏じゃないとプールは寒くて入れない。みんなが要で急なことはわかっているけれども、今は全員移動はやめよう、と言われたらまだ聞く気になるかもしれないが、我々の仕事は要で急だけどスキーなんか不要不急でしょ、と言われたらやはり素直に聞こうとはならない

(感染するかもしれないし死ぬかもしれないので、そこは各自で判断すべき話だが。疫学的には確率を考える意味があるが、個人が自分の生きるか死ぬかを考えるときに確率で考えると後で後悔するかもしれない。)