西側諸国の政治家に無くてプーチンにあったもの

今の日本の総理大臣である岸田総理は広島に地盤があるようだが、どういうわけか出身高校は東京の開成高校。僕と同じ高校の出身である。

自分で言うのも恥ずかしい話だが、いい高校というだけあって、「まとも」じゃない人というのはいなかった。 確かに、変わった人と言われそうなエキセントリックな趣味嗜好を持つ人は多いけれども、論理的に話して話が通じないということはない。

なぜか僕のクラスは、学年全体で8クラスもあるのに「円卓の騎士」(校内模試学年下から2番めから13番目。最下位はアーサー王と呼ばれていた。)の1/3が所属するクラスだったのだが、そんな彼らも僕のいた公立中学に連れていけば一番賢いというポジションになれそうというレベルであろう。 中学から高校に上がるのがほぼボーダーフリーということもあり、多数派の中学から上がってくる「旧高」と呼ばれる人たちはサボり癖がついている場合も多い。このため受験勉強という競争では脱落してしまっている人が少なからずいる。しかし、話していてなんとなく感じる頭の良さといったところは感じるものがある。

その後僕は東京大学に進むわけだが、頭の回転の良さみたいなところでいうと高校時代に比べて周りのレベルは落ちたな、と感じたのは覚えている。 あんまりこういう言い方をするのは良くないけれども、、、地方の進学校で、自分だけ東大に行けたみたいなことをちょっと鼻にかけているタイプの人は、お受験エリートという感じで頭の回転はあまり良くなかった気がする。まぁこれは体感値なので全然信頼できる話だとは捉えないで欲しいが。

本人の賢さに加えて家庭環境もよい。 富裕層というわけではないが、いわゆる(理想の)「中流」家庭で育ちましたという子が多い。 場所柄なのか、埼玉や千葉の教育熱心な安定したサラリーマン家庭(親もエリート大学出身)という子が割合としては一番高かったように思う。 西日暮里にあるからといって下町の学校ということはなく、いわゆる下町の家庭から通っている子なんてほとんどいなかった。

さて、こういう恵まれた環境で育っていると、基本的にはお人好しができあがる。

世の中の人も自分と同じくらい話が通じるはず、多少基準に違いがあってもある程度同じような善悪の区別があるはず、というのが発想の基礎になっていることは想像に難くない。

僕はまだ中学が公立だったのでまだましというか、世の中には論理で話しても通じないし、自分の意思を暴力で通そうとする人が少なからずいることをまだ知っている方だと思う。 幸い?公立学校でもニュータウンにあるような比較的上品なところではなく、本当の意味で治安がよくない中学を経験してきた。

京都の中学ではリスクを味わうためにほしくもないものを万引きすることがスポーツとして流行っていたし、東京の中学では授業が成立していなかった。 日本人のマジョリティの知的水準・倫理水準ってこんなもんなんだろうな、ということを知っているのはまぁ今となってはいい経験だったかもしれない。

↑話が通じない人々の例

此処から先は完全に根拠がない想像なのだが、、

やっぱり西側諸国の首脳陣の学歴を見ると、その国におけるエリートコースを歩んできている。 学歴がものをいうというフランスのマクロン大統領はもちろんENAだし、見た目そうは見えなかったUKのジョンソン首相もイートン高からオックスフォード大学。イタリアのドラギ首相はイタリア国内ではないがMITだし、ドイツのショルツ首相やカナダのトルドー首相もその国におけるエリート大学を出ている。

それぞれの国の教育制度に明るいわけではないが、やはりそういうエリートコースを歩んでいるということは、日本の社会から類推するに、自分自身が生きるか死ぬかといったピンチだったり、ソビエト崩壊のような自分自身ではどうしようもない生活の破綻といった事態を味わったことはないんじゃないかと思う。 子供の頃から周りも話が通じるまともな人間に囲まれていれば、世界はそういうまともな人間ばかりなのだというのが

バラク・オバマ当選という、理念的には良い(人種差別の歴史を乗り越えようとする一歩であるのは間違いない)ことを成し遂げ、民主党は「やっぱりアメリカ国民は賢さも善さも備えているんだなぁ」的な"Yes, we can"精神を持ってしまう。

プーチンは育ちの中で多く道理の通じない連中と殴り合いをしてきている。母親はレニングラード包囲の中で餓死しかけたような家庭で育っている。 世の中話の通じない輩はたくさんいて、結局は暴力が一番人を動かすという発想の基礎を持っているのだろう。

そんなプーチンがQアノンのような種火を見つけて、それを焚きつけることでドナルド・トランプのような再び帝国主義の道をあゆむロシアにとって都合のいい大統領を生むことを支援した。 トランプがプーチンと共犯なわけでもQアノン的なことを本気で信じているとも思わないけど、自分のために利用できるものはしたというところだろうか。

ヒラリー・クリントンを押し出した民主党だったけれども結果はご存知の通り。 半数もの人間が小児性愛の悪魔崇拝主義者からなるディープステートがアメリカ政治を支配しているというような妄想を持ち始めたことはにわかには信じられなかっただろう。 (なぜ日本で?と訳がわからないのだが、僕の近くにも一人いた。)

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政治家として支持者とのお付き合いをする中で、人間ってこんなものかと気づく機会は多数あるだろうけども、やはり子供の頃に作られた人間観というものは、そう変わらないのではないだろうか。 相手も国家首脳にまでなっているくらいなのだから、我々と同じような世界の見方をしているだろう、という期待というか甘さは、あったんじゃないかな。